土曜ドラマ「六畳間のピアノマン」。8年前、村沢と夏野、大友は上司である上河内にひどいパワハラを受けていた。そして、夏野は楽しく歌う動画「六畳間のピアノマン」を残し事故で亡くなってしまう。上河内のセリフが、俺の心に粘々とまとわりつく。

 「入社してからまだ3件しか売ってない。おい夏野、無駄に飯食って糞するだけの産廃じゃ、救いようがあれへんな。どういう風に育ったら、お前みたいな無能な人間が出来上がるんや?お前はクズの中でも最低なクズや」。

 「仕事がハードでメンタルやられて事故っちゃいましたって?笑わせんな!どうせ、そんな弱い奴はこの世の中で生きていけへんわ」。

 我が子に対して、上河内のような態度で接していないだろうか?いや上河内と同じだ。子どもは親の所有物じゃない。でも俺は自分の理想像を子どもに押し付けていないだろうか?いや押し付けている。期待通りのプロセスと結果でなければ、「なぜできないんだ?」となじって怒り、失望の表情を子どもに向ける。過度な期待は子どもをダメにする。過度なプレッシャーは子どもを潰す。失望は子どもの自信を失わせる。子どもはそもそも、なじられたり、怒られたり、失望されたりするようなことは何一つしていない。子どもにとって理不尽極まりないと思う。

 「上司である上河内は部下である夏野に対して愛情は無いだろうが、親である俺は子どもに対して愛情がある。だから同じケースとは言えない」なんてのは言い訳だ。「愛情」なんて言葉は俺の単なる言い訳だ。

 過度に期待する親は、「我が子こそは」と自分の成し得なかったことを、子どもに押し付けているだけではないか。子どもの人生は子どものもの。決して親のものではない。子どもは子どもの目指す像があり、子どものペースで一歩一歩進んでいる。親がとやかく言う筋合いはなく、黙って見守っていればいいんだ。子どもの人権を侵害してはいけない。

 俺の子どもに対する態度について、子どもに謝った。しかし、我が子は「僕も悪かった」と。この言葉を聞いたとき、俺は何と罪な行為を子どもにしていたのかと、自己嫌悪、いや危機感を覚えた。我が子は何も悪くない。このままでは、俺が子どもの人生を壊してしまう。このままではダメだ。このままでは取り返しのつかないことになってしまう。

 子どもの笑顔を見ていたい。たとえ悔しいことや悲しいことがあっても俺の励ましで元気にしたい。いいところをたくさん見付けて、たくさんの自信になればいいなと思う。そして自分をもっともっと好きになってくれたらいいなと思う。毎日一所懸命生きている我が子を暖かく見守り、頑張り屋さんになってくれたらいいなと思う。